マイコンブームとビデオゲームの関係

仮説A:1970年代後半のBASICビデオゲームプログラミング

この「仮説A」に関しては、ハドソンに所属していた岡田節男氏にインタビューを実施したところ、貴重な証言を得ることができた。インタビューの書き起こしは『科学哲学科学史研究』第19号(2024年度)に掲載を依頼するつもりだが、他にも何か発表の機会を考えねばならない。(2023/12/23)

いわゆる「マイコンブーム」と呼ばれる1970年代後半において,BASICビデオゲームプログラミングは「ビデオゲームで遊ぶ」以外にも「プログラミングの学習」「動作検証」といった目的が存在しており,しかもその目的を分離して扱うことは難しい,というものである。

その背景としては「マイコンブーム」の担い手の裾野の広さがある。メインフレームやミニコンピュータのユーザ(プロフェッショナル)もいれば,半田付けもろくにできないのに流行に乗せられた一般市民,というグラデーションがある。それらをひとくくりにして語ることはとても無理である。

マイコンブームの担い手を,それでも一言で言うなら「アマチュア」である。アマチュアとは「メインフレームやミニコンピュータを使えなかった人々」である。マイコンブームに関連して,安田寿明(1977)『マイ・コンピュータ入門』がベストセラーになったことは知られているが,この著作の元となったのは,安田が雑誌『bit』や雑誌『コンピュートピア』で執筆した記事である。これらの雑誌はプロフェッショナルのためのコンピュータ専門誌であり,安田寿明もプロフェッショナルである。つまり,マイコンブームとは,プロフェッショナルからアマチュアへコンピュータが伝わった現象である

以上を踏まえれば,マイクロコンピュータにBASICを実装し,そこでビデオゲームプログラミングするユーザの目的も統一的には語れない。石田晴久が『ASCII』1978年3月号で述べている「東大版Star Trek」(pp.60-61)は,どう考えてもビデオゲームを遊ぶだけの目的ではない。「東大版Tiny BASIC」のデモンストレーションのためであると石田自身が述べている。一方で,親に買い与えられていたTK-80に,雑誌に掲載されていたビデオゲームプログラミングを打ち込んで遊ぶ子ども,というのも存在したであろう。

そもそも「ビデオゲームプログラミング」それ自体が,ビデオゲームで遊びたいのか,プログラミング学習の過程なのか,容易に区別できるとは言えない。「自分はこういう体験をした」というユーザ個々の証言は貴重だが,いくら調査をしても追いつかないであろう。

だから,ソフトウェアが重要になってくるのである。私が必要としているのは「このBASICビデオゲームプログラムはビデオゲームとしても人気があったし,BASIC学習にも用いられたし,BASICの動作の検証にも用いられていた」という情報である

何故こんなことを考えるかというと,このような目的の混濁は,ビデオゲームソフトウェア(プログラミング)の大きな特徴ではないか,とうっすら思っているからである。たとえば,科学技術計算にコンピュータを使う時に,ユーザの目的がどこにあるか判別がつきづらい,ということはあまり想定できない。この論点はもう少し検討が必要ではあるが。

補足:インベーダーゲームを家で遊ぶこと(2021/2/14)

NHK番組アーカイブスにおいて,パソコンとビデオゲームの関わりが大きく取り上げられたものとしては,1979 年に放映された『NHK文化シリーズ 現代の科学 ブラウン管新時代』(13)がまず挙げられる.〔中略〕安田〔寿明〕は,自分の子供が「家でインベーダーゲームを遊んでいる」と学校で話したことで周囲に驚かれた,という話を番組中で披露しており,1979 年当時は家庭でビデオゲームを遊ぶことは一般的でなかったことが窺える.

鈴木真奈(2017)「1980年代前半のメディアに見る : ビデオゲームとマイコン文化の関わり」,『科学哲学科学史研究』第11号,pp.36-37

これは私の過去の記述だが,1970年代には既に,家庭で遊べるビデオゲーム機が存在したことは追記すべきである。しかし「アーケードゲームを家庭にあるコンピュータで再現すること」が当時において珍しかったのだという結論は変わらない。

『スペースインベーダー』ライクなビデオゲームプログラムがBASICなどで出回っていたか,ということは調査してもよさそうだが,「いや,そんなのはどこかにあるだろう」という予断が働いてしまう。また,このエピソードから明らかに,マイコン(パソコン)でビデオゲームプログラミングをしていた層は限られていたと見るべきである。その目的が「コンピュータでビデオゲームを遊ぶこと」に統一できないというのが私の主張だが,言わせる人に言わせれば「そんなの当たり前だろう」という程度の話ではある。

仮説B:1980年代前半における家庭用パソコンの開発史と受容史

ファミリーコンピュータが商業的に成功するまで,家庭用のコンピュータにとって,ビデオゲームは必要条件であったにせよ十分条件ではなかった

「開発者がユーザの目的をどのように仮定してコンピュータを作るか(開発史)」と「市場に出回ったコンピュータをユーザがどのように受容したか(受容史)」は全く違う話である。そして,物事の因果関係を考えた時に,開発史が先にあり,受容史は後に来る,というのはよいだろうか。

開発史において,家庭市場向けに開発・製造・販売されたパソコン(家庭用パソコン)とファミリーコンピュータは簡単に区別できる。家庭用パソコンはビデオゲーム以外の用途をアピールするように開発され,ファミリーコンピュータはビデオゲームの用途に特化するように開発された。そのファミリーコンピュータでさえ,BASICやキーボードを別売することにより,ビデオゲーム以外の用途を示唆した。なぜなら,家庭用のコンピュータにとって,ビデオゲームは十分条件でなかったからである。その理由としては「アタリ・ショック」が挙げられるだろう。

開発史における両者の区別は,受容史にも影響を与える。ファミリーコンピュータがどうして商業的に成功できたのか,その原因の一つは「ビデオゲームに特化したコンピュータとして開発したから」であろう。ビデオゲームというソフトウェアの出来を競い合う際に,ビデオゲームに特化したコンピュータと,ビデオゲーム以外のことも考えたコンピュータでは,前者の方が良いソフトウェアが出てくるだろう。もちろん,これは開発史と受容史の接続を説明するための,単純化しすぎた議論である。

開発史と受容史のギャップは,何も家庭用パソコンに限った話ではなく,前述のマイコンブームで人気機種だった「TK-80」などでも同様のことが起きている。コンピュータがプロフェッショナルからアマチュアへ広まる過程で,コンピュータの開発者とユーザの思惑というのはしばしばすれ違うのである。ファミリーコンピュータのような,開発者とユーザの思惑が完全に一致した事例の方が,むしろ珍しいと考えるべきである。日本のコンピュータの歴史から見ると,ファミリーコンピュータは非常に特異で特殊な存在だというのが私の理解である。

私は,家庭用パソコンが「ビデオゲーム用途で受容された」という受容史を否定したいわけではない。ビデオゲームは家庭用パソコンにとっての必要条件であったのだろう。だが,明らかに,ファミリーコンピュータ以前は,十分条件ではなかったファミリーコンピュータの商業的成功によって,ビデオゲームは初めて十分条件となる。それでさえ,1985年前後のマスメディアは「ファミリーコンピュータはこれだけ家庭に浸透したのだから,ビデオゲーム以外のことにも使えるコンピュータになるのではないか」と書き立てた。

補足:必要条件と十分条件 (2021/2/13)

私は元々は哲学畑の人間なので,物事の必要条件と十分条件を分析することに抵抗も疑問も感じないが「何故そんなことを考えるのか」説明しておく。

そもそも,マイコンブーム以前に,個人が・新品のコンピュータを・手に入れる,というのは,全く起きていなかったとまでは言いきれないが,極めて稀な出来事であった。それがマイコンブームで変わった。しかし,今度は「個人が新品のコンピュータを何に使うのか?」という疑問が出てくる。マイコンブームに乗せられてマイコンを買ってみたものの使いこなせないユーザがいたように,コンピュータは個人にとって必須ではない。

だから,1980年代前半期にかけて「個人がコンピュータをこのように使うだろう」という風にメーカが目的を仮定して家庭用パソコンなどを作る。ビデオゲームはその中でも早い段階から必要条件に食い込んでいた。しかも,ファミリーコンピュータの成功により,十分条件にさえなった。

このことは,個人とコンピュータの関係を考える上で,ビデオゲームに着目すべき理由の一つであろう。つまり,ビデオゲームの他に,必要条件や十分条件であったような家庭用コンピュータの用途はあっただろうか,という話である。