関西大学「科学と技術」2020年講義録(1)

教科書:伊勢田哲治(2003)『疑似科学と科学の哲学』の第一章

9月23日

1.創造科学のしぶとさ

多少のイントロダクションをしてから「1.創造科学のしぶとさ」の解説に入った。アメリカの反進化論運動については年表を作成した。創造科学について,1990年代以降の流れは,鵜浦裕(1998)『進化論を拒む人々』を参考にしたが,もう少し自分で勉強した方が良さそうである。かの「空飛ぶスパゲッティ・モンスター」は,この教科書が執筆された以降の話(2005年)である。ただ何を頼りにするかが問題である。さしあたって新聞記事でも読むしかなさそうだ。

授業の準備で多少インターネットの情報を参照したが,インターネットでは,創造科学(インテリジェントデザイン論)の話題はトンデモ面白ニュース扱いのようだ。しかし,面白がるだけの人々は「なんでアメリカがそうなってしまうのか」という原因分析は当然にしていない。

9月30日

2.帰納と反証

アーカンソー州の(進化論と創造科学の)授業時間均等化法の裁判で,ルースが「反証可能性」に言及した,というので前回終わったので,「2.帰納と反証」に入った。しかし,教科書の順序を入れ替えて,反証可能性を先に話した。オカーシャ/廣瀬(2008)『1冊でわかる科学哲学』でも,ポパーの話をしてから推論の話に入っているので,別段おかしな順序ではないはずである。

前々から個人的に気になっているのだが,演繹の説明として「前提が正しければ結論も正しい」というのは,不足である。演繹とは「演繹的な推論規則に従う限り,正しい前提からは正しい結論が得られる」というもので,推論規則が可視化できることが重要なのである。たとえば,教科書p.24は全称量化の消去則を使っている。

教科書の記述がやや短めだったので,授業時間を補うために「ヘンペルのパラドックス」と「グルーのパラドックス」について話した。これらは帰納に関係するパラドックスである。ただ,対偶が同じ意味であるというのを説明しづらかった。演繹的な推論規則でそうなっている,とゴリ押しした。

10月6日

3.創造科学と進化論の比較

進化論と創造科学について,帰納法(枚挙的帰納法と仮説演繹法)および反証可能性がどれだけ適用できるかを検討した後,反証主義に対する批判を見た。おおよそ教科書通りである。

教科書の仮説演繹法の説明が時々すっぽ抜けていたので,適宜補った。たとえば「神は慈悲深い存在である」という仮説を立てると,以下のような仮説演繹法が成り立つものと考えられる。

  • 仮説:神は慈悲深い存在であり,被造物に慈悲を与える
  • 初期条件:生物は神の被造物である
  • 観察予測:生物は神から慈悲を与えられている,すなわち,生存に適した能力を持つ

これで一応,妥当であるような観察予測は得られる。しかし,初期条件をどうやって得るのか,という問題があるのだが,創造科学の立場であれば「信仰によって得られる」という答えになると思われる。創造科学は,(キリスト教の)信仰によって解決を図る立場なので,信仰を持てない立場にどう振る舞うかが問題……と言うと今度は「宣教」と言い出しかねないのだが。

参考文献

鵜浦裕(1998)『進化論を拒む人々 現代カリフォルニアの創造論運動』,勁草書房
⇒教科書にも挙げられている参考文献。現地での調査に基づいた記述であり,1990年代初頭までの反進化論に関するアメリカの動きが追える。

河田雅圭(1990)『はじめての進化論』,講談社
⇒著者がPDFを公開している。私は以前に某研究室のプリンタで出力したものを紙で保存していたが,現在公開されているバージョンはそれより加筆されている。

垂水雄二(2018)『進化論物語』,バジリコ株式会社
⇒ダーウィン「以外」の進化論に関わる人物の伝記。ラマルク,キュビエ(キュヴィエ),ハクスリー,スペンサーについて参考にした。

ボビー・ヘンダーソン(著)片岡夏実(訳)(2006)『反★進化論講座 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書』,築地書館
⇒一応参照してみたが,この本だけを読むのでは意味がない。ただ訳すのではなく,ID論の教科書も参照し,両者の主張を検討して,空飛ぶスパゲッティ・モンスター教がID論のパロディとして成立していることを明らかにした解説が欲しかったが,難しいだろうか。