安斎育郎(2009)『科学と非科学の間 改訂増補版』61頁の話

この辺の話は,寺沢龍(2004)『透視も念写も事実である~福来友吉と千里眼事件』,草思社を読めばわかりそうである。が,とりあえず自力でも調べてみたという記録である。

超心理学研究が日本に紹介された時期は非常に早い。明治40年代(1910年代)に御船千鶴子,長尾郁子,三田光一らの自称霊能力者が登場し,当時帝大(このころは帝大といえばまだ東京にしかなかったので,「帝大」で通じた)の心理学の助教授だった福来友吉が実験の結果彼らの主張を支持してブームになる。しかし,御船,長尾に関してはトリックではないかという疑問がほかの科学者や新聞などを中心にあびせられ,御船は自殺する。三田については本人の証言により詐欺だったことがわかる。福来助教授は責任をとって辞職させられる。

伊勢田哲治(2003)『疑似科学と科学の哲学』,名古屋大学出版会,pp.111-112

伊勢田は,参考文献として,安斎育郎(1996)『人はなぜ騙されるのか──非科学を科学する』,朝日新聞社を挙げている。が,安斎の別の著書にも,それらしき記述が見つかった。

〔引用者注:「千里眼術」を使ったとされる御船千鶴子や長尾郁子が,明治44年(1911年)に死した後〕
その後,「念写霊媒」三田光一が登場し,福来友吉博士の要請を受けて「月の裏側」を念写する実験を試みるなど,世評を賑わしました。ところが,三田霊媒は,鹿児島の錦江湾に沈む琉球の朝貢船・松保丸を「霊能力」で透視して金塊を引き上げたとされる事件で詐欺行為(金メッキした鉛の棒をみずから用意して,雇った潜水夫に引き上げさせた)を働き,警察に検挙されてしまいました。三田霊媒を高く評価していた福来友吉博士は,この事件を契機に東京帝国大学を辞職するはめに陥りました。

また,三田霊媒の念写が,実は「乾板のすり替えによる詐術」であることは,大正七年二月一二日の日本衛生会講堂での実験で暴露されました。「月の裏側」の念写写真に至っては,誰も月の裏側を見た人がいないわけですから,もともと真偽の判定のしようもなく,科学的にはまったく意味のないこけおどしの実験にすぎませんでした。

安斎育郎(2009)『科学と非科学の間 超常現象の流行と教育の役割 改訂増補版』,かもがわ出版,p.61

(注:改訂増補版が2009年で,初版は1995年である)

しかし,この記述を見て「何だか妙だな」と思ったのである。

  • 笠原(1994)のp.10ならびにp.313を参照する限り,福来友吉が東京帝国大学を辞職したのは,御船千鶴子や長尾郁子の「千里眼術」に関する研究が原因である。三田に関しては記述がない。笠原が超心理学を擁護する立場だからこそ,日本の超心理学史において重要人物である福来についての記述には慎重を期するはずではないか。
  • 三田に関する出来事の時系列が不明である。「大正七年二月一二日」と妙に日付がはっきりしている記述の前に,もっと重要に思われる出来事(詐欺を働き警察に検挙されたこと)が出てきているが,この日付はいつなのか。
  • 月の裏側の念写について,現代においては検証不能ではないのだから,「真偽の判定のしようもなく,科学的にはまったく意味のないこけおどし」は言いすぎではないか。むしろ,月の裏側の写真と,三田の念写を比較して,両者に関連が見られない,と結論を下すのが超心理学の懐疑派の立場だろう。

というので,とりあえず読売新聞・朝日新聞・毎日新聞のデータベースを「福来友吉」「三田光一」で検索すると共に,インターネットで信頼できそうな資料を探した。

1. 福来友吉の東京帝国大学退職について

まず,福来友吉と千里眼術については,国立国会図書館が2013年に「本の万華鏡 第13回 千里眼事件とその時代」というオンライン展示を公表しており,かなり情報が整理されていた。

いわゆる「千里眼事件」については,国立国会図書館に説明を譲るとして,福来は1913年10月27日に東京帝国大学の休職を命じられ,1915年に退職。同年に高野山大学の教授に就任した,というのが国立国会図書館の説明である。

福来の休職については,読売新聞1913年10月28日朝刊2面にも辞令が掲載されている。当該記事は「福来博士昨日付左の辞令ありたり〔原文は旧字〕」とあるため,辞令自体は10月27日であることが読み取れる。東京朝日新聞1913年10月28日朝刊5面においては「心理学助教授文学博士福来友吉氏又近々罷免さるる事に決した〔原文は旧字〕」とあるため,これは退職勧告であったのだろう。

福来が東京帝国大学を辞めたのは,御船や長尾に関する実験が問題視されたことによる,という国立国会図書館ならびに笠原(1994)の見解が妥当であろう。

2. 三田光一の大正7(1918)年2月12日の念写実験

では,三田光一(本名:三田才二)はどうか。まず,安斎(2009)が「大正七(1918)年二月一二日」と日付まで指定している実験について,新聞での報道が確認できた。

東京朝日新聞1918年2月16日朝刊5面に,12日に東京で三田が行った念写実験について報道があるが,「東京での実験物議 封印した箱が違って居た為〔原文は旧字〕」という見出しがつけられている。実験場となった講堂には百名程度の来場者があり,その中から四名が実験に立ち会った。フィルムを入れた箱に立会人が封印し,その箱に対して三田が念写した。しかし,立会人になった者が「(念写する前と現像した後で)フィルムを入れた箱が違う」と抗議した。

抗議した者のインタビューも匿名で掲載されており,三田は立会人の注文を聞かずに「學寶(学宝)」の字を念写することにこだわったという。そして「學寶」が念写されていたフィルムは立会人が控えた番号と異なっていたため,すり替えたのではないかと立会人は疑ったようである。この立会人の疑義が元で,1918年2月12日の実験は途中で打ち切り,後日改めて行うことにした,というのが福来の言葉として書かれている。

疑義を呈した立会人は,本田親二であると考えられる。本田(1918)は『心理研究』に「三田光一氏の念寫に就て」を投稿しており,三田が暗室でフィルムをすり替えた可能性を,新聞記事のインタビューよりも詳細に論じている。

3. 三田光一の金塊詐欺事件

「鹿児島湾に沈んだ松保丸から金塊を引き上げたと称した詐欺事件」は,1926年のことである。この事件は東京朝日新聞が継続して報道していた。東京朝日新聞は1926年7月19日朝刊7面で,金塊が引き上げられたことを報じていた。東京朝日新聞1926年9月1日朝刊7面で,金塊が入ったとされる箱の中身がなべ銭であったと報道される。翌日の東京朝日新聞1926年9月2日朝刊7面によれば,引き上げ作業に従事した水夫らに給料が支払われていなかったため,真相を知る彼らが白状したらしい。また,三田が金塊の存在を匂わせて資本家に金を要求したことなどからも,疑いを持たれていたようだ。

記事中には福来に関する言及はなく,少なくとも新聞報道からは福来とこの事件の関わりを見出すことはできない。しかし,繰り返すが,福来が東京帝国大学を辞めたのは事実上1913年(正確には1915年)と見るべきで,1926年の金塊詐欺事件は福来の人事とは無関係と見るべきだろう。

なお,三田に下された判決は懲役1年6ヶ月である。東京朝日新聞1927年4月12日朝刊7面および1928年4月14日夕刊2面で報道が確認できたが,ごく小さい記事であり,世間の関心が薄れていたことが窺える。念のため判例データベースを当たってみたが,戦前の記録はうまく参照できなかった。裁判官名や裁判の日程はわかっているものの,参考調査にかけるのはやりすぎなので,止めておく。

4. 三田光一の月の念写

三田光一による月の裏側の念写実験は1931年である。また,1933年には岐阜市公会堂で公開で月の裏側の念写実験を行っている。黒田(2000)によれば,1931年の実験は,須磨にいる三田が,大阪府箕面にいる福来に対して遠隔で念写したものだという。つまり,福来は金塊詐欺事件以降も三田を対象に実験をしたわけで,その点は研究倫理上問題があると指摘することは可能であろう。

というのは,超能力に関して刑事事件を起こした人間よりは,超能力に関して刑事事件を起こしていない人間を,実験の協力者とした方が,風通しは良いからである。福来が三田を研究対象とすべきでなかったと断言はできないが,「他に適切な研究協力者はいなかったのか」という疑問は持たれても仕方ないだろう。

三田の月の裏側の念写に対して,肯定的な評価が,2007年に第40回日本超心理学会大会のシンポジウムで為されたようだが,予稿は存在しない。講演者は福来心理学研究所の関係者であるため,当事者的評価である点は注意すべきだろう。否定的見解について,学術的著作物は見つからなかった。出自不明ながら,月の裏側を称した三田の念写画像はインターネットで見つかるが,「敢えて批判するまでもない」という態度を取られてしまうのも致し方ないという気はする。

参考文献

安斎育郎(2009)『科学と非科学の間 超常現象の流行と教育の役割 改訂増補版』,かもがわ出版

伊勢田哲治(2003)『疑似科学と科学の哲学』,名古屋大学出版会

笠原敏雄(1994)『超心理学研究』,おうふう

岐阜県博物館(2015)「岐阜県博物館調査研究報告」第36号
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11479660

黒田正典(2000)「落ち穂拾い福来博士伝」,『超心理学研究』5巻2号,pp.80-84
https://doi.org/10.20810/jsppj.5.2_80

国立国会図書館(2013)「本の万華鏡 第13回 千里眼事件とその時代」
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/13/

雜報子(1918)「念寫問題の經過」,『心理研究』13巻76号, pp.459-466
https://doi.org/10.4992/jjpsy1912.13.459

本田 親二(1918)「三田光一氏の念寫に就て」,『心理研究』13巻76号, pp.439-448
https://doi.org/10.4992/jjpsy1912.13.439

第40回日本超心理学会大会 シンポジウム「念写の諸問題」(2007),『超心理学研究』,12 巻1-2号,pp.48-49
https://doi.org/10.20810/jsppj.12.1-2_48